解説

宇田川拓也(ときわ書房本店)

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 初めて読んだ岡嶋二人作品はなんですか?
 いま、そう問い掛けたなら、おそらく多くの読者が2004年6月に刊行された、講談社文庫版『99%の誘拐』を挙げるに違いない。『この文庫がすごい! 2005年版』(宝島社)の「ミステリー&エンターテインメント部門」で第1位に選出されるや、並みいる新刊話題作を押し退け、全国の売り場を席巻。それまで品切れになっていた他の作品までもが続々と重版され、文庫コーナーの一角で「岡嶋二人フェア」を展開する本屋が続出したほどだ。この今世紀に入ってからの『99%の誘拐』大ヒットによって、相当数の新たな読者が生まれたことに異を唱える者はいないだろう。発表から20年近い時の経過をものともせず、これほどのセールスを記録するとは、さすが岡嶋二人! 1980年代を駆け抜けた、井上泉(現・井上夢人)と徳山諄一のコンビである伝説のミステリー作家ユニットの凄さを改めて痛感した次第である。
 と、ここまで読んで、岡嶋作品をリアルタイムで知る40代以降のミステリーファンのなかには、「〝伝説〟とは大仰な!」とおっしゃる向きもあるかもしれない。いやいや、ちょっとお待ちいただきたい。私は1975年生まれの本屋の店員である。リアルタイムで触れることができたのは、ラスト長編の『クラインの壺』で、そこから岡嶋作品を遡っていったクチだ。つまり、どうにかギリギリ間に合うことができた世代である。そんな人間にしてみると、岡嶋二人は少年時代にミステリーの面白さを教えてくれた「レジェンド」といっても過言ではない、それはそれは偉大なる存在なのだ。もし本稿に〝憧れ〟のような浮ついた気配を感じたなら、そういう理由からだと、ご理解いただきたい。

 さて。
 第28回江戸川乱歩賞を受賞したデビュー作『焦茶色のパステル』(講談社文庫)が、2012年8月に[新装版]としてリニューアルされたのに続き、本作『チョコレートゲーム』もまた装いを新たにすることとなった。1985年「週刊文春」ミステリーベスト10の国内部門第6位にランクインし、第39回日本推理作家協会賞長編賞を受賞した。『焦茶色のパステル』、『あした天気にしておくれ』と並ぶ初期ベスト3の一作に数えられる文句なしの傑作だ。

 思うように原稿が進まない小説家──近内泰洋は、妻から中学3年生の息子──省吾の異変を告げられる。ここ2週間ほど学校を頻繁に休んでおり、身体にアザを作って帰宅するなり部屋に籠るような毎日だという。しかも家の金を勝手に持ち出しているらしく、部屋にはいつどこで手に入れたのかわからない高価なパソコンが置いてある。妻はこれを〝非行の兆候〟だと懸念する。近内は省吾と話しをしようと部屋を訪れるが、親に罵声を浴びせ、金を要求するその態度は、とても近内の知る息子のものではなかった。
 翌日、省吾のクラスメイト──貫井直之が全身打撲の他殺体で発見される。近内は思わず〝打撲〟から省吾の身体のアザを連想し、心に不安がよぎる。学校に赴き、先生だけでなく、同級生たちにも話を訊いて回った近内は、そこで〝チョコレートゲーム〟なる謎の言葉を耳にする。そんな矢先、さらなる凶行が父兄らの集まる学内で発生。近内の不安が的中しただけでなく、ついに事態は最悪の結末を迎えてしまう。「嘘だ。そうじゃない。そんなのは嘘だ。省吾は、やってはいない。間違いだ。すべてが何かの間違いだ」我が子に着せられた汚名をすすぐため、近内は孤独な調査を開始する……。

 本作を初めて読んだときには省吾と同じ中学生だった私も、いまや近内に近い年齢になってしまったわけだが、読み始めるや止まらなくなる極めて完成度の高いミステリーという評価は、当時もいまもまったく変わるものではない。とはいえ、これだけの歳月が流れている以上、インターネットもスマートフォンもなかった時代の物語に当時と変わらぬ感想をふたたび抱くものでもない。そこで、まず発表当時の本作の評価を振り返ってみよう。
 1988年7月に刊行された講談社文庫旧版の権田萬治氏による解説には、「この作品の新しさは、若い世代の生態を鋭くえぐった青春推理小説という側面を持つと同時に、中学生の間で起こった事件を自分の息子の問題として、苦悩しながら真相を追求して行く父親の姿を描いた本格的な謎解き小説である点にある」、「この作品でまず感心させられるのは、作者がコンピューター時代の現代の中学生の生活ぶりをよく調べて書いていることである」とあり、それまでの小説にないレベルで変容する現代中学生をよく捉えた点に新味を見出していたことがわかる。
 つぎに、2000年11月に「日本推理作家協会賞受賞作全集」第50巻として刊行された双葉文庫版の末國善己氏の解説では、刑事が娘の長電話を嘆く「この頃の子供たちは、なんでもかんでも、すべて電話ですよ」というセリフを例に挙げ、のちの携帯電話の一般化を先駆けたような指摘であると言及。そして、「作者が『チョコレートゲーム』で描いて見せた子供たちの変容は、発表から20年を経ようとしている現在、ますます加速度がかかっているように思える」と述べ、子供部屋が親の知らない聖域と化し、家族関係の断絶が当たり前のように語られるいま、「この作品は、特に子供たちの変容をとらえた先駆的な作品ととらえることが可能である」と定義している。
 では、そこからさらに10年以上が経過し、すでに新味は懐かしく、子どもたちの加速する変容も行き着いた感のある現在、だからこそわかる本作の美点とはなんであろうか。それは、子どもたちの変容が決して大人の理解を超えた現象ではなく、大人たちの変容に呼応し、成るべくして成ったことを改めて教えてくれる点にある。子どもたちが悲劇を生むきっかけとなった〝チョコレートゲーム〟も、いわば大人たちの世界に倣おうとした産物にほかならない。そして、子どもたちが親や教師の目を盗んで〝チョコレートゲーム〟を進めることができた下地には、大人たちがもたらした環境、機材、手法が大きく関わっており、これは事件そのものについてもいえることである。つまり、当時、子どもたちの生態や変容をえぐる社会派的な鋭さと捉えられていたものが、時代を経過することによって普遍的な提言へと昇華しているのだ。いま本作を読むと、子どもたちの変容を目の当たりにしなければ、世の変化を感知し、及ぼす影響を予知できない大人たちへの警鐘を感じて、背筋が伸びるような気持ちにさせられる。また、謎を解き明かした先で、(たとえそれが強い後悔を抱くほど遅くなったとしても)変容に惑わされることなく子どもを信頼できた大人だけが、〝正しい助け〟をもたらすことが可能だと示す場面は、多くの胸を締めつけつつも、強く心に響くことだろう。
 続いて、〝極めて高い完成度のミステリー〟としての変わらぬ魅力について触れておこう。
(ここ以降、若干内容に踏み込んだ触れ方をしております。作品を最大限にお愉しみいただくためにも、恐れ入りますが、本文読了後にお目通しいただけますと幸いです)

 本作が、いまなお揺るぎない評価を獲得している最大のポイントは、磐石の基礎、にある。数ある岡嶋作品のなかでも、本作の結構は決して複雑な部類ではない。だがそれは、ひとつひとつの所作にごまかしや不手際などあろうものなら、たちまち物語全体に歪みや崩れが生じてしまうということでもある。この点で、本作には一切の抜かりがない。リーダビリティ抜群の文章、短いページ数での読み手の引き込み方、細やかな伏線の配置、謎の提示と誤誘導の手際(〝チョコレートゲーム〟と〝みんなジャックのせいだ〟という言葉の用い方、そして〝ガタガタッと、何かが倒れるような派手な音〟の真意を、読み手の予想をギリギリでかわして膝を打たせる巧妙な見せ方を見よ!)、もちろん、謎が解き明かされたあとで「そういえばあれって……」と首を傾げるような取りこぼしなどあるわけもない。どれもこれもが折り目正しい美しさを感じるくらい、ミステリーが備えておくべき基礎が徹底しているのである。もし本稿をお読みのなかにミステリー作家志望の方がいらしたら、本作は必読の一冊だと断言しよう。どんなにいいキャラクターを生み出そうと、驚愕の仕掛けを思いつこうと、印象的なセリフや場面を描こうと、作りがおろそかではすべてが台なしになってしまうことが心底よくわかるだろう。

 最後に、本稿を書いていると、事務所のFAXに徳間書店から注文書が流れてきた。どうやら駅の構内や周辺書店を中心に、今度は徳間文庫版の『99%の誘拐』が売れており、新たにオビをつけての出荷が決まったとのこと。冒頭で、私は岡嶋二人を〝伝説のミステリー作家ユニット〟と書いたが、どうやらこの〝伝説〟という冠は、この先まだまだ輝きを増していくようである。これからも多くの本屋の店員が岡嶋作品を売り場に並べ、手に取った読者ひとりひとりが〝伝説〟にいっそうの輝きを加えていくことだろう。その絶えぬ流れのなかで、改めて岡嶋二人の凄さに撃ち抜かれる重要作品として『チョコレートゲーム』が熱く支持されるよう、売り場に立ち続けられる限り、1冊1冊お届けしようと気持ちを強くしている。