解説

貫井徳郎

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 ちょっと堅苦しいが、論を進める上でまずミステリーの定義をしたいと思う。
 "ミステリー"という語本来の意味に従ったならば、その本質は謎解き小説ということになる。もう少し厳密に言えば、この場合の"謎解き"とはただ漫然と解かれればいいものではない。"意外"であり、"独創的"であり、ある程度"フェア"である必要がある。まあこの3点をすべて満たす必要はなく、意外でも独創的でもないがフェアであるために優れたミステリーというものは確かに存在するし、他の条件においても同様である。
 つまり"ミステリー"とは、狭義の"本格"だけではなく、"ハードボイルド"も"サスペンス"も"社会派"も、謎を原動力としてストーリーが進んでいくものすべてを指すと考えていい。現代では"ミステリー"というジャンルが拡散し、"エンタテインメント"と同義語になりつつあるが、ここでは本来の意味で"ミステリー"という言葉を使いたい。
 で、そういう定義付けをして浮かび上がってくるのが、ミステリーを書く上での強固な呪縛である。その呪縛とは何かといえば、謎を提示しその解決に向けて収斂していくという、逃れようのないパターンのことである。この呪縛は古今のいかなる名作であろうと、脱却し得ずにいる。いやむしろ、伝統的とも言える呪縛にあえて身を任すところからスタートする小説形式が、ミステリーと呼ばれるのかもしれない。
 だがここに、ミステリーの呪縛からいとも易々と抜け出て、それがために他に類を見ないオリジナリティーを誇る作家がいた。それが本書の作者、岡嶋二人である。
 岡嶋二人の場合、冒頭で提示される謎は全体においてあまり大きな比重を占めない。これは世界のミステリーを俯瞰した上で、異常なまでにオリジナルな世界である。岡嶋二人が謎解きに主眼を置かない作家ならば、そうしたこともあり得るかもしれない。だが岡嶋二人は紛れもなく、謎解きを原動力とするストーリーを書き続けた作家なのだ。そうした形態を選択しつつ、冒頭に謎を持ってこない作家は、岡嶋二人ただひとりと言い切ってかまわないだろう。
 岡嶋二人の作品は、冒頭の事件は単なるきっかけに過ぎない。あたかもそれは、ミステリーを書くためにはどうしても必要だから置いているに過ぎないかのようだ。そんなスタートを切りながら、なぜ岡嶋二人の作品群が謎解き小説の知的興奮を味わわせてくれるのか。ここに岡嶋二人の天才性が現れてくる。
 岡嶋ミステリーにおける謎は、ページを繰るごとに増殖するのである。傑作『あした天気にしておくれ』を例に引くまでもなく、このパターンは幾度となく岡嶋ミステリーでは現出する。『七日間の身代金』のように、冒頭の謎が途中で入れ替わってしまうような極端な例すらある。繰り返すことになるが、これは謎解きミステリーとしては稀有なまでに個性的と言わねばならない。
 これはおそらく、合作という珍しい執筆形態が生み出したパターンではないかと推測される。岡嶋二人の一員であった井上夢人のエッセイ集、『おかしな二人』を読めばわかるのだが、合作者であるふたりは互いにアイディアをキャッチボールしながらプロットを膨らませていたらしい。まず一方が冒頭の謎を提案する。それをもう一方が不満に思い、さらなるアイディアを積み重ねる。それを受けてもう一度、一方が捻りを加えていく。そうした過程が、岡嶋二人オリジナルとも言うべきストーリーパターンを生み出したのだろう。そういう意味では、岡嶋二人の作品は合作の利点を最大限に生かしたミステリーであったと振り返ることができるはずだ。
 周知のことだが、岡嶋二人は平成元年、『クラインの壺』を最後の作品として解散した。そのためもはや岡嶋二人の新作は世に出ることがなくなってしまったわけだが、前記のような理由からもそれを残念に思わずにはいられない。メンバーのひとりであった井上夢人は、その後着実に作家活動を続けているが、ソロとなって必然的に、あるいは意図的に作風を変えてきているからだ。もはや井上作品においては、謎解きそのものにも主眼が置かれていない。にもかかわらずミステリー本来の読む楽しみを満喫させてくれるところに高度な作家性を見いだすことができるのだが、それは別の話である。ここではただ、岡嶋二人がミステリー史に残したユニークな足跡を検証するだけに留めておきたい。
 そして本書『眠れぬ夜の殺人』である。本書は「小説推理」誌上に、昭和63年1月号と2月号に分載後、同年6月に双葉社より刊行された、岡嶋二人16番目の長編である。この作品においても、先述した岡嶋作品の個性は遺憾なく発揮されている。
 冒頭に提示される事件は、単なる喧嘩の果ての致死事件である。その事件では被害者も犯人も最初から明らかにされていて、言ってみれば謎など何ひとつないのだ。だが岡嶋二人はそうした平凡な事件からストーリーを語り起こし、徐々にとんでもない方向へ物語のベクトルをずらしていく。この手法は余人の真似できないところである。
 岡嶋二人はシリーズものをめったに作らない作家でもあった。それは作品のオリジナリティーを何よりも大事にするために、パターンに陥ることを忌避したからだろうと思われるが、本書はその数少ないシリーズもののひとつである。続編『眠れぬ夜の報復』と2連作という格好になっているが、解散に伴って3作目が書かれる可能性はなくなった。ここからは余談になるのだが、それを残念に思ったかくいう評者が、設定をそのまま借りてオリジナルのストーリーを書いたことがある(『失踪症候群』双葉社刊)。その経験から言えるのだが、予想もしない方向にストーリーを持っていく岡嶋二人のテクニックを盗むことは至難の業であった。岡嶋作品のオリジナリティーの高さは、凡百の作家の及ぶところではないという証左であろう。
 本書は井上氏の自己評価によれば、それほど高いレベルをクリアーした作品ではないという。なるほどそのとおり、傑作揃いの岡嶋作品の中では、いささか順位を下げてしまうかもしれない。だがまったくと言っていいほど外れのない岡嶋二人のこと、手に取ってみればぐいぐいと作品に引き込まれ、あっという間に読み終えてしまうことは保証する。岡嶋作品の特徴が前面に現れている本書は、継続して読み続けている岡嶋ファンだけでなく、初めての読者にも格好の入り口となるだろう。そして一度読み始めれば、次々に他の作品を読みたくなるのは間違いないはずだ。