試みに、「なんでも屋」という商売があるかどうか、昭和63年度版のタウンページをひいてみましたが、さすがに、この平明かつ独創的なネーミングの屋号は、電話帳には存在していませんでした。
残念。では、「便利屋」ならばどうか? と見てみますと、あるわあるわ、広告もまじえて約7ページ。驚きです。
キャッチフレーズがまたバラエティに富んでいます。
「あなたの生活を誠意をもってサポートします」
「あなたの力になります!」
「秘密厳守・親切・迅速・格安・安心」
営業種目も、清掃・不要品の処理・順番とり・貸金回収から留守番、果ては占い師の紹介まで。中には「調査・探偵」を売り物にしているところもありますから、興信所との境界線もボヤケてきつつあるようです。
ともかく、岡嶋さんの手で「なんでも屋」というすてきな名前をもらったこの商い、今や立派に市民権を得ているのです。そして、このおもしろおかしい商いをする釘丸大蔵さんを主人公に立てた岡嶋さんも、ここにまたひとつ、ホンワカとあったかい、魅力的なミステリーを生み出すこととなりました。
この「暖かさ」。これこそが、岡嶋ミステリーの魅力の核であると、私は思っています。
「解説」のページをもらっておきながら何だ! と、熱心なファンには叱られそうなことを白状しますと、私が岡嶋さんの大ファンになったのは、つい2年ほど前からなのです。2年前、それはつまり、岡嶋さんの長編小説「チョコレートゲーム」が推理作家協会賞を受賞された年、ということになります。
一読、まさに仰天した覚えがあります。正体不明の「チョコレートゲーム」。それが実は子供たちによる賭博の……と、ここまで書いて、ひょっとしたらこの大蔵さんをとおして初めて岡嶋さんの作品に出会う読者の方もおられるかもしれないから、この先は書けないなと思い直し……うーん、ミステリーの解説を書くって、難しいものですね。
ともかく、未読の方は「チョコレートゲーム」もぜひ読んでみてください。ここではただ、この作品は、単に推理小説として傑作だというだけでなく、優れて予見的なものでもあった、ということだけ、書いてしまいます。実際に、高校生3人が賭博の貸し借りをめぐって殺人事件を起こし、世の大人たちを驚かせたのは、つい最近のことでした。
以来、私は岡嶋さんの作品を片っ端から読みまくりました。乱歩賞作品の「焦茶色のパステル」、その前年に書かれ、惜しくも、本当に惜しくも次点に終わったけれど、内容的にはけっして遜色ない「あした天気にしておくれ」、結婚産業という時代のもうし子のような分野を取り上げた「コンピュータの熱い罠」──その頃の私ときたら、会う人ごとに、その人がミステリー・ファンであろうがなかろうがおかまいなしに、岡嶋さんの話ばかりしていたみたいです。ゆえに、私の親しい友人たちは、これを「岡嶋ショック」と称しております。
それほどまでに私が惹きつけられた岡嶋ミステリーの魅力。それが、どの作品にも共通する「暖かい」トーンだったのです。
もちろん、意表をつくトリック、思いがけない、でも納得のゆく動機、読者の共感できる主人公たち、軽快でテンポのいい文章と、魅力の要素はたくさんあります。でも、さらにそれらの一枚下に流れている、どの作品にも絶対に欠けることのないもの、それが、登場する人たち──被害者、加害者を問わず──に注がれる、書き手の視線の優しさだと思うのです。
ミステリーですから、殺人あり、誘拐あり、死体遺棄あり、脅迫ありと、世の中のありとあらゆる悪事が登場するのは当然のことです。それなのに、殺伐としていません。なぜでありましょうか。
理性ある人間にとって、犯罪を犯すのは、けっしてなまやさしいことではないはずです。犯行に至るまでの葛藤、悩み、ためらい、背中のあたりから這い上がってくる恐怖、いざその場になって出し抜けに吹きつけてくる臆病風。
思うに、文章でそれをべったりと書くことはなくても、岡嶋さんの頭のなかには(ちなみに、もしこの文章を英語で書いているとするならば、この『頭』は複数形になります)常にそれが大前提としてあるのではないか?
だから、岡嶋ミステリーの犯人たちは、通り一ペんの、極端に言えば第三者を立てて話し合いをすれば済んでしまうようなことを動機に、すぐ殺人に走ったりしません。それを追いかける探偵役たちも、それが仕事だからとか、暇だからとか、好奇心があるからとかの安直な立場の人たちではありません。だから,読者である私たちは、最終ページが近くなり、犯人とその動機が明らかになってきたとき、謎が解ける爽快感と同時に、ページをめくる手をふと止めて考えてしまうような、「暗い共感」を覚えることもできるのです。
「あした天気にしておくれ」では、読者は全編をとおし、主人公と一緒にせっぱ詰った立場に立たされます。主人公は暗い使命をおびて、犯罪のなかに飛び込んでいきます。彼の窮地は、形こそ違え、私たち読者にも、ある日突然降りかかってくるかもしれないものなのです。
「コンピュータの熱い罠」では、一転、秘かに企まれている陰謀を暴くヒロインの、いちずでけなげな頑張りを同時体験することができます。
「焦茶色のパステル」では、離婚を考えていた夫を突然殺された妻の、「私はこんな形で自由になることを求めてはいなかったのに」というつぶやきに、謎を追う彼女の「想い」を見て取ることができるのです。
「チョコレートゲーム」の謎解きは、単なる犯人探しだけではなく、主人公の作家が、生前ついに理解してやることのできなかった息子の影を追い求める謎解きでもあるのです。それがあるからこそ、読者である私たちは、主人公の切ない心情と同時に、自分がまいた種に身動きとれなくなって、「ジャックのせいだ……ジャックのせいだ……」と、震えることしかできなかった少年の幼い怯え心をも、理解することができるのです。
「犯罪」の重みをしっかり踏まえた上で生まれる岡嶋ミステリーの「暖かさ」。
そして、それが最も端的で楽しい形で作品となったのが、この「なんでも屋大蔵でございます」ではないかと、私は思います。
まず、語り口が楽しい。大蔵さんの話、という形で小説が進行していくわけですが、昨今ではちょっと耳にしないこの言葉づかい、一昔前の大店の番頭さんみたいじやありませんか? 声に出して読んでみたくなります。
お次はトリック。仕掛けです。これもまた、文庫本を買うときはまず解説から読むよ、という読者のために、詳しくは書けません。ほんのサワリだけ。
「浮気の合い間に殺人を」には、ふうん、アリバイってのは、表にも裏にも数字のついたトランプみたいなもんだね、と思わされるところがあります。
「白雪姫がさらわれた」
もう、私はこういう話が大好きで、1番のお勧め品です。「芸は身を助ける」というけれど、大蔵さん、ひどい目にあいました。
「パンク・ロックで阿波踊り」を読むあなた! あなたがもし若いOLさんでしたら、読後にはぜひ、会社の部長さんや課長さんを誘ってディスコにくり出してみてください。新たな魅力を発見するかもしれません。そして、街でモデルにスカウトされるようなことがあったら、くれぐれも用心なさること。
「尾行されて、殺されて」
実を言うと、私にもこれと似た経験があるのです。もちろん殺人は抜きですけれど、初めての場所を訪ねるのに、わざわざ遠回りの道順を教えられたのですね。ひょっとしたら、岡嶋さんにも同じようなことがあって、それで思いついたトリックかな、などと考えたりしました。
「そんなに急いでどこへ行く」
いいですねえ……泣かせます。それに今後が楽しみになるじゃありませんか。釘丸大蔵さん、家族が1人増えて、ますます忙しくなって、どんどん事件がやって来る。ほかにも、ペットのリスちゃんにはどんな名前をつけたのかとか、しょっちゅう膝のうえにお茶をこぼしている津軽刑事にはピンシャン! とした奥さんがいて、毎日ズボンをプレスしているのかもしれないとか、大蔵さんは奥さんをもらわないのかしらとか、知りたいことはいっぱいあるんですから。
ぜひ、ぜひ、事件簿の続きを。
さて、この先は本当の蛇足です。
私は、岡嶋ミステリーを読むときに、いわゆる「アテ書き」ならぬ「アテ読み」をして楽しむクセがあります。それだけイメージがわいてくるからなのですが、これがなかなか面白くて、やめられません。
たとえば「チョコレートゲーム」のときは、悲しい探偵役をつとめる主人公の作家に、俳優の露口茂さんをあてて読みました。
「あした天気にしておくれ」の厳しく自制的な「私」は、断然、高倉の健さんでした。
では、われらが釘丸大蔵さんには、誰がふさわしいでしょうか?
これが、案外難しかったのです。というのは、いかにも大蔵さんにぴったりそうな芸達者の俳優さんの顔が、たくさん浮かびすぎるからなのですね。西田敏行、川谷拓三、橋爪功……。
で、結論として、誰になったかと申しますと、ここは一つ、菅原文太さんなんか、どうかと思うのです。ちょっと渋すぎるんじゃない? という異論が聞こえてくるのは重々承知ですが、でも、まあ想像してみてください。あの文太さんが、愛用の雑嚢を肩から下げ、ズボンのポケットにタオルをつっこんで、昭和33年型の丸石自転車をこぎこぎ、「はい、なんでも屋大蔵でございます」と、横町をやって来るところを。
なかなかよろしいと思うのですが、いかがでございましょう。ね?
(昭和63年4月 小説家)