解説

東野圭吾

HOME | 岡嶋二人 | どんなに上手に隠れても | 解説_東野圭吾

 岡嶋二人さんに初めてお会いしたのは、僕が江戸川乱歩賞を受賞した時のパーティ会場においてだった。作家のヒヨコもヒヨコ、まだ尻に卵のカラをくっつけている僕にも、岡嶋さんは丁寧に頭を下げて挨拶して下さった。腰の低い方だなあと感激した覚えがある。
 また同時にこんなふうにも思った。
 ようやくこの人たちの世界に入れたのだな、と。
 岡嶋さんとじかに顔を合わせるということは、単に先輩作家に会うということ以上の意味が、当時の僕にはあったのである。
 ここで時計の針を逆に回してみたい。1982年春だ。
 この頃僕は将来のことで悩んでいた。今のまま会社生活を続けるか、何か別の道を深すべきか迷っていたのである。機械油にまみれながら毎日を送るという人生に不満があったわけではないが、自分にはもっとほかにすべきことがあるような気がしていた。
 そこで小説を書いてみることにした。しかし漫然と書いているだけでは自己満足でおわってしまう可能性が高い。そこで新人賞に応募してやろうと考えた。これなら締切もあるし、ずるずると完成が遅れるということもないだろうと思ったのだ。
 さて今でこそ小説の新人賞というのは両手で数えきれないぐらいあるが、この頃は知名度の高い賞はわずかだった。その中で江戸川乱歩賞は、受賞即デビュー、イコール金が入るという華やかな雰囲気に包まれていた(現実はそうでもなかったが)。
 よし乱歩賞に応募してやろうと、僕は単純に考えたのだった。
 しかしこの時まで、受賞作がどんなふうに選ばれるのか全く知らなかった。それで、というと作者の長井彬さんに失礼だが、その時の最新受賞作である『原子炉の蟹』を買った。本の後ろに選評が載っていたからだ。
 そこで初めて岡嶋二人という名前を知った。『あした天気にしておくれ』という作品で最終候補に残っておられたのだ。
 無論この時の受賞者は長井さんなのだから、岡嶋さんは落選しているわけである。しかし僕は、この共作者のことが気になった。それは選考委員全員が、その実力については絶賛していたからだった。
「文章は平明で構成もよい」──南條範夫氏
「最もまとまっており、筋立ても面白かった」──多岐川恭氏
「実に達者で、読みやすい。じゅうぶん作家になれる人」──都筑道夫氏
「筆力においては4編中でも上位にある」──三好徹氏
「まだ若く、卓抜な筆力もあるお2人」──五木寛之氏
 というような具合である。受賞にいたらなかったのは、メイントリックが夏樹静子さんの作品と同一(と選考委員が判断した)という不運のせいにほかならなかった。
 すごい人がいるのだな、というのが、この時の僕の感想だった。作品を読んでいないからそのすごさは正確にはわからないが、とにかくプロ作家がこれだけ誉めているのである。半端な才能ではないはずだった。
「よし」
 と、そこで僕は考えた。
「この人が受賞するまで応募は見合わせよう」
 勝負事は駆け引きが大事。何もわざわざ強敵にぶつかることもないわいと、セコい作戦に出たわけである。
 だがこの作戦は全く意味がなかった。それから間もなく乱歩賞の発表があって、岡嶋二人さんは中津文彦さんと共に、見事受賞してしまったからである。こっちはまだ原稿用紙も買っていなかったのだから、敵視すること自体が厚かましかったのだ。
 早速、選考経過の載っている「小説現代」を買ってきた。恥ずかしながら、小説雑誌を買うのはこの時が初めてだった。
 予想通り、選考委員全員が岡嶋二人さんをベタ誉めしていた。けなすところがないらしく、「うまく出来すぎているのが、難といえば難」(西村京太郎氏)、「達者さになにかをプラスしてほしい」(多岐川恭氏)という、一体どうせえっちゅうんじゃといいたくなるような注文がついていた。
 この時の「小説現代」には、受賞第一作の短篇も掲載されていた。岡嶋さんは、『罠の中の七面鳥』という作品を書いておられた。これが最初に世に出た、お2人の小説ということになる。ストーリーは、業務上横領が発覚しそうになって焦っている男が、昼と夜で全然別の生活をしている女子社員を利用することで、自らの犯行を隠蔽しようというものだった。男性と女性のモノローグを交互に書くことでサスペンスを盛り上げるという、凝った構成になっていた。
 この作品を読んで僕は愕然とした。そしてこう思った。
 これはすでにプロの仕事だ。
 こんな人が今までアマチュアとして埋もれていたことが不思議だった。もしこれからも続々とこういう才能が出てくるのであれば、とても自分にはチャンスがないと思った。
 この思いは、受賞作『焦茶色のパステル』を読んだ後も変わらなかった。いやむしろ強烈になった。なるほどこれなら、「あまりにも手なれすぎている」という意見が出てもおかしくないと納得した。
 岡嶋二人さんが、その後もレベルを落とすことなく、着実に作品を発表していかれたことは周知の通りである。受賞翌年秋には、『あした天気にしておくれ』も刊行されたが、これを読んで、
「なぜこの作品が乱歩賞を取れなかったんだ。トリックの類似性なんか、この作品の完成度を考えると、大した問題ではないじゃないか」
 と憤慨した人も多かったと思う。僕もその1人だったからだ。
 さらにその翌年の秋、『どんなに上手に隠れても』が刊行された。この頃にはすっかり岡嶋ファンになっていた僕だが、この作品を見た時には特に喜んだ。岡嶋二人の得意技である誘拐ものだったからだ。もっとも、得意技なんていう表現は失礼かもしれない。あのお2人には、おそらく苦手なジャンルなどなかっただろうからだ。ただ、『あした天気に──』で熱狂した人間としては、やはり岡嶋作品の中でも誘拐ものは特別だと思いたいのである。
 さて、『どんなに上手に──』で誘拐されるのは、売出し中の新人歌手である。単に事件を語るだけではなく、そこに絡んでくる芸能関係者やスポンサーの人間たちの様々な思惑を描くことに力点が置かれている。後に知ったことだが、岡嶋さんはプロダクション関連の仕事をされたことがあるそうで、そうしたバックグラウンドがあったからこそ、こういうストーリーに挑もうという気になられたのだと思う。
 この作品の面白さについては、もっと書きたいが、余計な説明をしすぎると読者の楽しみを奪うことになる。一言、
「読みだしたらやめられない」
 ということだけ付け加えておこう。
 この作品が刊行された翌年、僕も遅ればせながら乱歩賞をいただいた。で、最初に書いたように、身の程もわきまえず、こっちで勝手にライバル視していた岡嶋二人さんとの対面となったわけである。その後、パーティなどでも気やすく話しかけていただけるようになり、プライベートでお会いすることも多くなった。
 ある時、『どんなに上手に──』の話になった。あの作品は岡嶋二人の代表作の一つであり、評論家があまり取り上げなかったのはおかしいというのが、僕の意見だった。
「そんなによかった?」と岡嶋さん。
「よかったです。特に×××が×××して×××する時の台詞がいいです」
 気に入った小説は、暗記するほど読むというのが僕の特技でもあるのだ。僕の記憶があまりに正確なので、岡嶋さんはひとしきり感心してくれた。
「そうか。そんなに気に入ってくれたのか」
「気に入りました。名作です」
「そうか、それなら頼もうかな」
「何をです?」
「解説だよ。今度文庫になるから、解説を書いてくれ」
「えー」
「じゃ、頼んだからね」
 というわけで、この解説を書いている。岡嶋さんは小説作りは緻密だが、私生活では大らかというか呑気というか、まっ、はっきりいって結構いい加減な人なのである。

(ひがしのけいご・作家)