K子さん。
先日は失礼しました。ぼくは本を読むか原稿を書くかしか能のない男、さぞ退屈なさったのではないかと思います。それでも懲りないとおっしゃるなら、またつきあって下さい。
さてあなたはあの時、ぼくの解説したミステリーを読みたいと言ってくれましたね。ご存じかどうか、解説者が自分の担当する作品を選べることはめったにありません。著者自身のご指名によるか、あるいは著者に一任された担当編集者に依頼されるか、通常そのどちらかで、言ってみれば先様まかせなのです。作家づきあいのあまりないぼくとしては、後者の場合が多いのですが、それほどヒドイ作品にはほとんどぶつからずに済んだのは、かなり幸運だったという気がします。しかしまあ、K子さんのような若い女の人に是非おすすめしたい1冊となると、迷わないわけにいきません。
この本、『開けっぱなしの密室』は、ぼくの解説したたぶん80冊目くらいにあたるはずですが、そういう意味でかなり上位に入るんじゃないでしょうか。この本に限らず、岡嶋二人の作品はもっと若い女性に読まれていい。というのも、岡嶋作品に登場する女性たちが、男の作家が自分の願望に合せて創るいわゆる"いい女"とは一線を画した、言動ともに生き生きした存在として描かれているからで、女性読者が素直に共感できると思われるのです。
たとえば、子どもの本の研究家の赤木かん子さん(会ったこともない人を気やすくさんづけしていいものでしょうか? いいことにします)は光文社文庫版『三毛猫ホームズのびっくり箱』(1987年)の解説で、赤川次郎が自己のヒロインを断じて女性差別の視線で描いてないことを賞揚し、日本でそういう作家は「赤川次郎のほか誰がいるかなーと思っても橋本治と岡嶋二人以外、ちょっと思いつかないもんね」と述べています。
細かいことですが、現実の女性はガハハともエへへとも笑うのに、日本のたいていの小説ちゅうの女性はなぜかホホホとしか笑わない。男流作家どもの大半が、女性のせりふの語尾に機械的に「……だわ」とか「……なの」とか付けて、これが女の喋り方だと割切っているらしいのは、一種の女性差別かも知れません。岡嶋二人(ぼくは男性差別主義者なので男は呼び捨てにします)の小説に限ってはそんな心配がなく、最新長篇『殺人者志願』でもヒロイン鳩子が生身の女性として喋るので、とても可愛く思われたものです。『開けっぱなしの密室』に収録された短篇で言えば、巻頭「罠の中の七面鳥」の佐々木花子の独自、表題作での沢田夏実の手紙などに、そうした特長はとりわけよく発揮されているでしょう。
岡嶋ファンの女性は他にもいて、漫画家の野間美由紀さん(また知らない人をさんづけしてしまった)も、『パズルゲーム☆はいすくーる』(花とゆめコミックス)3~5巻あたりの欄外でおすすめミステリーとして岡嶋作品をたびたび取上げています。野間さんは、岡嶋作品のキャラクターの良さばかりでなく、謎や仕掛けの巧みさにも魅せられているようですが、確かに岡嶋二人は発想は大胆、構成は緻密、それでいて読みやすいのですから、申し分はありません。ただ軽くて読みやすい、またはひたすら重厚で読みごたえある小説なら珍しくなく、勿論それぞれに存在価値があるものの、読みやすく手ごたえを感じさせる作家となると、岡嶋二人のほかにそうはいないでしょう。赤川次郎ほどとは言わないまでも、実力に比してまだまだ読まれ方が足りないようなのは、ひとごとながら残念でたまりません。
どうも、デビュー作はじめ最初期の著書が競馬ミステリー3部作だったというのが、いけなかったのではないでしょうか。作品そのものがいけなかったわけではありません。ただ、日本で競馬というと、右手に赤鉛筆、左手にヨレヨレの予想紙、眼を血走らせたオッサンがゾロゾロいるといった感じで、女性には特にイメージ良くないでしょう。競馬のことを知らないと、なおさら敬遠しますしね。かく言うぼくも競馬場に行ったことはおろか馬券を買ったことすらないのですが、岡嶋氏の競馬ミステリーは3作とも、そうした知識不足に全く困ることなく楽しめました。特に3冊目の『あした天気にしておくれ』は、犯人の側から描く倒叙ミステリーと見せかけて、途中から犯人さがしに切替わるというユニークな構成、しかも篇中ついに1件の殺人も起きないのにサスペンスたっぷりに読ませるという、素晴らしい作品でした。この長篇、出版は3部作の1番あとながら、江戸川乱歩賞を受賞する前年に応募され最終候補に残ったもので、そんな素晴らしい作品がなぜ受賞に至らなかったのか、そのへんの事情は岡嶋氏自身が同書のあとがきに述べていますので、読んでみて下さい(あとがきだけでなく、もちろん本文も)。
というところで、岡嶋氏の現在までの著作リストを掲げておきましょう。
『焦茶色のパステル』1982年。第28回江戸川乱歩賞受賞作(講談社文庫)
『七年目の脅迫状』83年。書下し長篇。(講談社文庫)
『あした天気にしておくれ』同年。第27回江戸川乱歩賞候補作に手を入れたもの。(講談社文庫)
『開けっぱなしの密室』84年。初の短篇集、6篇収録。(本書)
『タイトルマッチ』同年。ボクシング界を背景にした誘拐物。『野性時代』一挙掲載。(カドカワ・ノベルズ)
『どんなに上手に隠れても』同年。書下し長篇。広告業界を背景にした誘拐物。(トクマ・ノベルズ)
『三度目ならばABC』同年。TVプロダクション勤務の山本山コンビが活躍するユーモア・ミステリー連作短篇集、6篇収録。『小説現代』等に掲載。(講談社ノベルス)
『チョコレートゲーム』85年。校内非行と家庭内断絶を扱う書下し長篇。第39回日本推理作家協会賞を受賞。(講談社ノベルス)
『なんでも屋大蔵でございます』同年。表題の人物が活躍する連作短篇集、5篇収録。『小説新潮』掲載。(新潮社)
『5W1H殺人事件』同年。連作形式の異色長篇。『小説推理』連載。(フタバ・ノベルズ)
『とってもカルディア』同年、山本山コンビの書下し長篇。(講談社ノベルス)
『ちょっと探偵してみませんか』同年。読者への挑戦小説集、25篇収録。『ショートショートランド』『パズラー』連載。(講談社)
『ビッグゲーム』同年。野球ミステリー。『週刊現代』連載。(講談社ノベルス)
『ツァラトゥストラの翼』86年。ミステリー・ゲームブック。(講談杜)
『コンピュータの熱い罠』同年。結婚相談所に勤務する女性が主人公。『小説推理』2回分載「その鐘を鳴らすな」改題。(カッパ・ノベルス)
『七日間の身代金』同年。誘拐と密室殺人がテーマ。『週刊小説』連載。(実業之日本社)
『珊瑚色ラプソディ』87年。沖縄が舞台のサスペンス小説。『週刊明星』連載。(集英社)
『殺人者志願』同年。『あした天気にしておくれ』と同じく半倒叙物。『EQ』2回分載「ひとごろし・ろくでなし」改題。(カッパ・ノベルス)
『三度目ならばABC』『とってもカルディア』の山本山コンビというのは、読んでないと何のことやら分らないでしょうね。織田貞夫(おださだお)と土佐美郷(とさみさと)という、ともども上から読んでも下から読んでも同じ回文名をもつカップルが探偵役を務めるシリーズですが、回文については、以前ぼくは泡坂妻夫著「喜劇悲奇劇」(角川文庫)の解説に詳しく書いたことがあります。おっと、よその文庫の宣伝をしちゃいけません。あなたも、もし小池さんという人と結婚すれば、回文名になりますね。いやいや、夫姓に統一すると決めてかかるのは、ぼくも女性差別の因襲に囚われているようです。
さて、ずらずら書名を並べたのは枚数かせぎのためだけではありません(ほとんどそれだったりして)。このリストはいろいろなことを語ってくれますが、例えば誘拐物が非常に多いのは、殺人に代る刺戟的な材料として用いられているらしく、血を見るのが嫌いな作家であるような気がします。
そしてまた、どれもタイトルがとても洒落ているのにお気づきでしょう。はやりのナントカカントカ殺人事件などというのは1冊しかありませんし、それもありふれた地名なんかでなく5W1Hと、とんでもない言葉が冠されております。それどころか、普通に付けられる「――の――」といった題名すら3分の1しかありません。そうしたタイトルのうまさは、『開けっぱなしの密室』に収められた短篇にもよく表われています。「――の――」パターンは6篇ちゅう巻頭と巻末の計2篇だけですし、岡嶋氏の短篇第1作でもある「罠の中の七面鳥」は、作中に出てくる"藁の中の七面鳥"のもじりであることは言うまでもありません。してみると、「サイドシートに赤いリボン」のもとは"夕陽に赤い帆"でしょうか(トシがわかるな、この連想は)。「火をつけて、気をつけて」というのは何かの標語のようですし、「危険がレモンパイ」はひところはやった"頭がマーボドーフ"式の用法を思わせます。こういう、いわば新人類的な語法がタイトルに会話に縦横に活されているばかりでなく、収録作品のほとんどが無軌道な若者たちの犯罪を主題にしていると言っていいでしょう。しかし彼らもかくべつ異常に描かれているわけではなく、彼らが殺人に踏み切るのは、言ってみれば犯行が可能な"状況"が与えられるからのようです。状況の生み出す謎を取上げる小説作法が、本集のみならず岡嶋作品全般の魅力を解明する1つの鍵なのかも知れません(いかん、つい評論家調が出てしまう)。
鍵と言えば、「開けっぱなしの密室」というのも、題名そのものに謎があって秀逸です。今や、単にアパートの内側から鍵のかかった部屋で人が殺されていたって、そんなのは謎として少しも面白くないわけで、密室物を書くなら、新しいトリックを考案するより、密室それ自体の新手を考えるべきでしょう。「開けっぱなしの密室」は、その期待にじゅうぶん応えてくれます。
岡嶋二人は、その名の通り2人の合作ペンネームですが、「開けっぱなしの密室」が掲載された雑誌の著者紹介に、「1年やってコンビ作家が(日本で他に)いない訳がわかった。なにしろ稿料は半々」と著者の言葉が引かれています。5年間で18冊という創作量は、1人でそれよりたくさん書く作家もざらにいるわけですから、多いとは言えないでしょう。じっさい合作というのは、2人別々に書く以上に手間ひまがかかるはずです。岡嶋氏はそれで高い水準の作品を産み出し続けているのですから、読者としては著者の台所事情を無視して、このコンビを末長く続けていってほしいと思います。雑誌連載が他の新人作家に比べて多いのも、そのあたりを配慮しているのかも知れません。
長い手紙になりました。とにかく、赤川次郎の好きなK子さんにもきっとお気に召すと思います。この本が面白かったら、友達にも吹聴してみて下さい。
では、また。