1989年暮。
私は、大好きな本を1冊増やし、その本にどきどきして……同時に、もっと哀しいどきどきを味わうことになった。ハードカバー版の『クラインの壺』を買った時の話である。
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えとね、まず、『解説』に要求されていることを、先に、済ましちゃおう。
これは、とっても面白くて……そして、怖い、お話だ。
うん、私、久々に、"怖がる楽しみ"を満喫してしまった。
あ、でも、こう書いて誤解する人がでちゃ困るな、えーと、これはホラーじゃありません。ミステリー。でも、読みおえて、しみじみ、怖いんだ。何が怖いって……あう。
困った。この本の場合、何が怖いのか説明できない。(はい、私の文章力がなくて説明しにくいって事情も、そりゃ、あります。でも、それより何より、私がふれたくない。初めてこの文庫を手にとった人は、一切の解説、お話の構造なんか知らずにとにかく読んで欲しいんだもの。その方が絶対、楽しめるもん。)
ありゃ、こう書いたら、もっと困った。解説なんか全然なし、予備知識ゼロで読んでもらいたいのは事実で……だとすると、一切解説をしない解説って……一体全体、何書きゃいいんだ?
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しょうがないから、岡嶋二人さんについて、一般論を書こう。
『クラインの壺』に限らず、岡嶋さんの作品は、まずはずれがない。何読んでも面白い。
その理由は沢山あるんだけど、中でも特徴的なのって、岡嶋さんの作中人物は、犯人も被害者も探偵役もみんな、地に足がついてるってことじゃないだろうか。
たとえば、岡嶋さんの作品の中の犯人は、できれば人を殺したくないって思っている。(例外がない訳じやないけど。)故に、ぎりぎり切羽つまらないと人を殺さない。それが、読んでいるこっちに、ダイレクトに判る。
あん? そんなのあたり前だって? 殺人狂の話だとか、そういう一種特別な動機のもの以外、人を殺したいが故に殺してる犯人なんていないって思う?
そうでも、ないと思う。結構、ミステリーの中には、"小説の為の殺人"っていうか、"殺人の為の殺人"っていうか、目撃者はおろか、目撃していた可能性があるだけの人、脅迫者はおろか、ほっといたら真実に気がつくかも知れないっていう立場の人まで、殺しに殺してしまう奴があるじやない。場合によっては、動機をごまかす為に複数の殺人をすることだってあるんだしさ。
んで、そういう話に比べると、岡嶋さんの描く犯人は、「ああ、私とおんなじ人間だ」って思える訳。(……もっとも。この辺、とっても微妙なんだけど、じゃ私は、"小説の為の殺人"が嫌いか、許せないかっていうと……そういうお話も、好きなの。どう説明したらいいのかなあ、好きで読んでる、人が無造作に殺されてゆく作品群の中で、ぽっかり"人を殺したくはない"岡嶋さんの犯人をみつけて、何かそれが逆に新鮮で、特に岡嶋さんのファンになっちゃったっていう処かしら。)
また、岡嶋さんの犯人は、無理なことをやると疲れるんだ。
とある小説の話だけれど。死体を埋めなきゃいけなくなった人間が、どれ程苦労して死体を埋める場所を探すか、それがどれ程大変な作業で、どれだけ自分が土や何かに汚れてしまったか、ちゃんと書いてあるんだよね。そして、そういう作業をした人は、しばらくの間、他のことがまったくできないくらい、疲れ果ててしまって。
こういう描写って、嬉しくならない?
夜、人を殺しました。朝までにその人の死体を埋めました。翌日は、平静を装って会社にゆきました。
ミステリーには、結構このパターンがあって、そして、それはそれで、約束事として納得はするのね。(まあ、犯人は緊張の極限にまでいってるだろうから、そういうことも不可能だとは思わないしさ。)でも、たかが死体を埋めるだけ(って言い方は何だけど)で疲れ果てちゃう主人公を見ると、「私なら絶対そうなるな」って思えて、妙にしみじみ嬉しくなるの。
そういう意味で、岡嶋さんの描く、犯人も、犯罪も、そして被害者も、みいんな、何ていうのか、地に足がついていて……。
だから。
他の誰よりも、地に足がついている筈の岡嶋さんの足が急に消えちゃって……私がどんなにショックだったか。
(当然御存知だろうけど、念の為注・岡嶋二人っていうのは、お2人の方の合作ペンネームだったのだ。そして、1989年暮、このお話を最後に、この2人、コンビを解消してしまったの。)
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さて、ここから。
この解説、前代未聞の事態に突入しちゃう。
作者に文句をつけまくる解説だ!
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岡嶋さん。
1989年暮、この本のハードカバー版を手にいれた時……私が、そして全国の岡嶋ファンがどんな気分だったか、できればぜひ想像してください。
ほんと、泣こうかと思いました。泣けました。
私は、あなたの、ファンでした。
どのくらいあなたのことが好きかっていうと……そうだなあ、あなたの本は全部買ってる、『パリダカ』の本とか、ゲームブックとか、どう考えても自分の趣味じゃない本まで、全部読んじゃいました。(あ。ゲームブックは、途中で挫折しました……)
こんだけ大好きな作家が、"岡嶋二人"をやめちゃう! 今後、どんなに待とうとも、2度と岡嶋二人の新作は読めない!
これは哀しいです。こっちが勝手に好きになったんですけど、でも、ここまで好きにさせといて、今更それはないんじゃないっていうのが、正直な私の思いです。(よろしければ、岡嶋さんの大好きな存命する作家の方を想像してください。その人が、ある日突然、筆を折るって宣言した、ねえ、これはショックでしょ? 哀しいし、いっそ腹がたってきますよね。岡嶋さんが私にした仕打ち──凄い言葉だけれどつかってしまおう──って、こういうものなんです……。)
特に『クラインの壺』がでた直後って、本当にショックが大きかったです。
だって、同じ合作を解消するにしても、例えば藤子不二雄さんとは訳が違いますもの。藤子さんの場合、別々になっても、作品は読める、今までどおり描いてくれるって期待できましたけど、岡嶋さんの場合、どうやって合作しているのか判らないから、お2人が別れてしまったら、もうミステリーを書かないんじゃないか、最悪、文章すら2度とお目にかかれないんじゃないか、そこまで心配せざるを得ませんでしたもん。ほんと、この間岡嶋さんのお1人、井上夢人さんの新刊(『ダレカガナカニイル…』)がでるまで、ファンとしては実に何ともやりきれない思いでした。
とても正直に書きますと、実は今でも、私、できることなら岡嶋さんの胸ぐらつかんで、「また岡嶋二人をやってください」って叫びたいくらいなんです。今まで岡嶋さんが築き上げてきた、"岡嶋二人は面白いぞ"ってイメージは、そのくらい堅固に私の中にできあがっているんです。
……とはいえ、人の生き方とか仕事のことって、他人が口をはさんでいい領域じゃありませんし、岡嶋二人をやめるっていうのも、勿論いろいろと考えた末での結論でしょうから、こういうこと、いうべきじゃないっていうのも、判ってはいます。ですので、実際に胸ぐらつかみにはゆきません。
ただ。でも。
読者っていうのは、本の国の王様で、とってもわがままな存在ですから、そして、ちゃんとお金を払って岡嶋さんの本を買ってる、私はれっきとした読者ですから、最後にわがままを書いてこの解説、お終いにしたいと思います。
お願いですから岡嶋さん、このあとも続けてお話、書いてくださいね。
井上さんの御本はでましたけれど、もうお一方、田奈純一さんの方は、まだ新刊がでてないと思います。(これは噂ですのではっきりとはしませんが、田奈さんの方は、これからTV等の仕事をメインになさるって話も聞きました。……まあ……前に書いたように、他人様の仕事に嘴つっこむのはいけないことだって判ってはいるんですが……あうあう、でもたまには小説も書いて欲しい……。)井上さんの方だって、なかなか新作がでないじゃないですかあ。
大変過激な表現になりますけれど、お2人は、お2人になるに際して、私の大好きだった"岡嶋二人"って作家を、いわば"殺して"しまったようなものだと思います。ミステリー作家なんですから、"殺し"の責任は、とってください。この場合の責任のとり方ってただ1つ、「読者が岡嶋二人に期待していた分きっちり、読者を楽しませてくださいな」、です。
……まあその……客観的に言えば、岡嶋さんにそんな義務も責任もないって判ってはいるんですが、けど、そこまで岡嶋二人を好きにさせてしまったのは、岡嶋さんです。
悪女の深情け、とか言ったりして。
怖いんですよ、読者っていう悪女は。
ね?
(平成4年12月、ミステリー作家)