あとがき

岡嶋二人

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 1982年、イギリスで奇妙な本が出版された。
 スティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンという2人のゲーム・ショップ経営者が書き、ペンギンブックスから出版されたこの本には『The Warlock of Firetop Mountain』というタイトルがつけられていた。
 この本が変わっていたのは、ある意味で読者に「労働」を課すものであったということだ。それを読む者は、通常の小説を読む数倍、いや数10倍のエネルギーを要求された。24ページを読んでいた次には227ページを読まなければならず、そしてそこを読み終えると86ページに戻るという具合で、読者はひっきりなしにページを前に後ろに繰り続けなければならない。しかも、ページを繰る前には、次にどこのページを読むかという判断を迫られ、あるいは儀式めいたサイコロの出目を読むという作業まで強制されるのである。
 ところが、それほど「面倒くさい」ものでありながら、この本はたちまちベストセラーになってしまったのである。これが、アドベンチャー・ゲームブックと呼ばれるものの最初の作品だった。
 もともと、このゲームブックはアメリカで発生したロールプレイング・ゲームに、その源流を持っている。これは1種のボードゲームであり、役割を与えられた数人のプレイヤーたちが、自分の分身であるコマをボードの上で動かしながら空想の世界に遊ぶというものだ。ゲームには、必ずゲーム・マスターと呼ばれる神様のような役目を持った者がいて、その神様がゲーム進行の骨組みを創作する。
 ジャクソンとリビングストンの2人がやったのは、このボードゲームを1人でも楽しめる形に変え、さらにそれを1冊の本に押し込めるということだった。この2人の試みはみごとに成功し、その後、おびただしい数のゲームブックが生み出されることになる。
 この最初の作品は、1984年の暮れに日本でも『火吹山の魔法使い』(浅羽莢子訳・社会思想社刊)として出版された。原書と同様に、こちらもすきまじいほどのベストセラーとなった。たちまち30社以上の出版社がこの新しいジャンルに参画し、85年だけでも100点を超えるゲームブックが刊行された。書店にはゲームブックのコーナーが設けられ、下は小学生から上は30代までの広い読者層を獲得したのである。
 そのブームが始まったばかりの1985年に、僕たちのところへゲームブックを書かないかという誘いがかかった。
 それは、魅力に満ちた誘惑だった。やってきた編集者は、一気にまくしたてたものだ。
「推理をやりたいんです。推理物のゲームブックを作りたいんです。今までも、推理物のゲームブックは出てますけど、どれも本物じやない。従来のアドベンチャー・ゲームに推理物風の味付けをしただけです。そういうまやかしじゃなくて、本物を作りたいんですよ」
 ゲームブックの世界では、主人公は読者である。読者は、物語のヒーローとなり、魔物や怪物と戦いながら1歩1歩栄光の勝利へと進んで行く。それが推理物であれば、もちろん読者は名探偵にならなければならない。
 読者が、自分の頭で考え、提示された事件を自分の頭で解決する。
 それは、なにやらすさまじい魅力を持っていた。
「本当に、読者を探偵役にしてしまっていいんですね?」と、僕たちは編集者に訊いた。「本気になって読者が考えないと、事件が解決しないような、つまりすごく難しいものにしてしまってもいいんですね」
 望むところだ、というのが編集者の答えだった。
 僕たちは数ヵ月をこの仕事にあて、1986年2月に『ツァラトゥストラの翼』を出した。
 ここで、僕たちはいくつもの実験を試みたのだが、その最大のものが、ゲーム進行の要となるある1点の謎を、読者から完全に隠してしまうことだった。具体的に言えば、謎の答えを本のどこにも書かなかったのである。どうしても謎を解くことができなかった読者に対しては、葉書を送ってもらい、謎の答えを郵送するということにした。
 ところが、僕たちが思っていた以上に、それは難しいものだったらしい。編集部に届く葉書は山となり、僕たちの担当者は、返信葉書の宛名書きで殺されそうになってしまった。知り合いの多くに『ツァラトゥストラの翼』を贈ったが、それが解けたと言ってきた人間は、呆れるほど少なかった。
 このほど、これを文庫にするということになって、まず頭に浮かんだのが、その「隠された謎の答」をどうしようかということだった。葉書を送ってもらうというのでは、またあの地獄を編集部に味わわせてしまうことになる。
 それが、袋綴じという結論を導き出したのだ。
 これからゲームをなさる読者に、袋綴じの表にも記したことを、ここでもう1度繰り返させていただきたい。

 袋は、できるだけそのままにしておいてほしい。なぜなら、謎の答えはあまりにも簡単なことだから。以前、解答を教えられた読者の多くが、異口同音の反応を示したのである。
「なあんだ……こんなことだったのか」
 彼らは、がっかりしたように肩を落とした。
 解答は、教えられて満足するようなものではない。逆に、それを自分で解きあかした時には、大きな満足が得られることをお約束したい。

 ゲームブックを書くという体験は、僕たちに大きなものを与えてくれた。書いている間に、僕たちは様々な工夫を強いられたし、それが思いがけない発見をもたらしてくれた。
 その貴重な体験を与えてくれた講談社第一出版センターの入澤誠氏と、今回の文庫化に際して多大な苦労をおかけした講談社文庫編集部の中村武史氏に心から感謝するとともに、ゲームブックという新たなジャンルを切り拓いてくれたスティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストンの両氏の存在がなければ、そもそもこの本を僕たちが書くということさえ有り得なかったことを、最後に記しておきたいと思う。

1990年4月