特別対談

井上夢人 vs 大沢在昌

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大沢: 『あわせ鏡に飛び込んで』は、文庫オリジナルの作品集ですよね。結構長いスパンにわたって書かれたものでしょう。一番古いのは?
井上: 「書かれなかった手紙」。初出が1990年かな。「雨の会」編の『やっぱりミステリーが好き』というアンソロジーに書いたものです。
大沢: かつて「雨の会」という若手作家の会があったんだよな。今をときめく宮部みゆきさんや東野圭吾さんも入っていた。夢さんが岡嶋二人をやめて、独立したころ(1989年)にできたんだっけ。
井上:  ちょうどその時期に重なってるね。会の名前を決めるとき、高橋克彦さんなんかが「ポーの一族」にしようとか、「暗黒星」がいいとか言っていた。でも結局「雨の会」になったのは、みんなで集まると必ず雨が降るから。
大沢:  最初はまだ宮部みゆきさんが雨女だとは思ってなかった。今は異常気象女って言われている(笑)。「雨の会」に参加していた作家は、みんなタイプが違うけど、いろんなことをやろうという雰囲気があった。
井上:  今から考えると、すごいメンツだったね。
大沢:  当時はみんなまだ作家としてものになっていない部分があったから、自分のポジションを模索していたんですね。いつのまにか自然消滅しちやったけど……。今回の短編集には、「雨の会」のころに書いた作品も含めて10編収録されています。全部通して読むと、ロアルド・ダールみたいなのばかり集めているじやないですか。いわゆる"苛妙な味"の短編。日本の作家でこういう短編を書く人は減った気がする。今は、わかりやすいのが好まれる風潮があると思うんですよ。
井上:  それは僕もときどき感じますね。
大沢:  例えば感動だったら難病の話だったり、恐怖だったらスプラッターっぽいのがボンと出てくる。逆に夢さんの短編は、わかりやすくない恐怖を描いている。僕が一番怖かったのは、瞬間接着剤で男をつなぎとめようとする女の子が出てくる「あなたをはなさない」。総じて女が悪者になっているパターンが多い。
井上:  そう? まあね、実際怖いんじやないの。
大沢:  でも「女は怖い」と書かれると、わりに女性は喜ぶよね。「何いってんの」と言いながらニマッと笑う。そこが女性の奥深さだけど。この短編集に収録された作品は、どれも出だしだけではどこに物語が行き着くかわからない。で、最後にぞっとしたり、ひやっとしたりする。そこで快感みたいなものを感じる。ちょっと自分が得をしたような気分になるんですね。それって、小説の根本的な魅力の一つだと思う。こういう短編は、クラシックなんだけど絶対に古びない。
井上:  僕は「ヒッチコック劇場」とか「ミステリーゾーン」みたいな、一話完結のテレビシリーズがめちゃくちゃ好きで。オチがうまくはまると快感なんだよね。昔からああいう番組を見ていた感覚があったから、小説でも書いたのかもしれない。相棒と二人で書いていたときは、なかなか書けなかったしね。
大沢:  相方はあまりそういうのが好みじゃなかったということ?
井上:  というか、話し合いで書いていくと……。
大沢:  怖くなくなっちゃうのね。
井上:  そう。意外性もあまりない。だから、どんでん返しを何回やるか、どれくらい手数を増やすかという話になってくる。1つのところにフォーカスを決めて、すーっとそこに持っていくような書き方は、やってみたいのにずっとできなかった。そのフラストレーションがたまっていて、一人になったら、そっちのほうへ行っちゃったのかもしれないね。
大沢:  夢さんの短編集を読んで、ああいう切れ味のいい短編を読む楽しみを、もっと提示したほうがいいと思いました。
井上:  僕の本と同時期に、大沢君の『亡命者 ザ・ジョーカー』も文庫になるんだよね。あのシリーズも、ちょっと変わった短編集じゃん。
大沢:  あれも今は数が減ってきている、クラシック・スタイルの作品ですね。いわゆるトラブルシューターもの。最近だと新野剛志さんの『あぽやん』がありましたけど、小説のオールドファンには懐かしいだろうな。
井上:  読んでいるとすごくダイレクトに小説を楽しんでいる感じがするんだよね。
大沢:  僕は中学高校のころ、ああいう探偵が主人公の連作短編集が好きだったんですよ。夢さんが「ヒッチコック劇場」や「ミステリーゾーン」が好きだったのと同じです。次はどんな事件で、どんな依頼人で、どんな決着がつくのか、わくわくしながら読んでいた。だから自分でも書いたんですね。
井上:  おもしろいなと思ったのは、登場人物のつくり方。僕のキャラクターのつくり方と、入口が違うと思うんですね。大沢君の場合は、まず主人公がいる。その人物を傷めつけたり、極限状況に追い込んだら、どう起死回生を図るか、そういうふうにして書いている感じがするんです。僕の場合は逆だから。
大沢:  ストーリー?
井上:  そう。プロット派というのかな。構図とか構造のほうから入っていって、次にキャラクターを考えるというつくり方。
大沢:  作家って自分の中に劇団を持っているじやないですか。夢さんの場合は最初にプロットがあって、それに合った役者を持ち駒の中から選んでいく。僕の場合は、まずスターシステムみたいなのがあって、例えば「ジョーカー来い」と呼ぶ。次に「おまえの今回の敵役は……」って見回して、「じゃあ、こいつでいこう」みたいな感じ。そこは明らかに違います。
井上:  自分はできないから、キャラクターを動かすことによって小説をつくっていく人のやり方に興味がある。
大沢:  それは夢さんが単に仕事を怠(なま)けているだけ(笑)。もっといっぱい書けばキャラクターを動かすようになりますよ。
井上:  ああ、そうか。まずい話を振ったな(笑)。
大沢:  次から次に締め切りがくると、いきなりプロットを考えようとしてもかなりきついじやないですか。だから僕はまず、形を考えるんですよ。形というのは、料理でいう味つけ。例えばここに牛コマ肉があるとしよう。それを単に塩こしょうで炒めるか、中華風にするのか、和風にするのか。テイストから決めるんです。同じジョーカーが主人公であっても、今回は依頼があって出かけるんじやなくていきなり殺されそうになるところから始めようとか、あるいは悪女ものにしてやろうとか。
井上:  僕の場合は、例えば料理を食べ終わって、最後に水を飲んだらめちゃくちゃうまかった、ということが書きたいのね。そこにたどりつくために、どんな料理をつくったらいいかを考える。
大沢:  ビールに合う料理とか、ワインに合う料理とか、日本酒に合う料理とか?
井上:  そういうふうに書く。
大沢:  おもしろいよな。一滴も飲まない夢さんが酒に合う料理を考える。おれは飲んべえだけど、食い物の味のことしか考えていないという。
井上:  書き方の違いを他の人と話すとおもしろいよね。
大沢:  そういえば佐野洋さんの『推理日記』で、「大沢さんは映像世代だけあって、物語を映像を描くように書いている」と書いていただいたことがあるんですよ。僕はまさに自分の頭の中だけにある映画を文字化している。例えば登場人物の服装、言葉遣い、たばこを吸うときのしぐさも、全部は書いていないけど頭の中のスクリーンには映っているわけです。全員そうしていると思っていたから、佐野さんは言葉だけで組み立てていくというのを知ったときに驚いた。夢さんは文字型?
井上:  自分としては、僕は明らかに映像型だと思ってる。映画をつくりたくて映画の学校に行ったぐらいだし。小説を書いていても、カメラをどこに据えるかとか、トラックアップやりたいとか考える。あとは例えばお化け屋敷やマジックハウスがものすごく好きだったから、からくりのある舞台をつくる。
大沢:  おれの頭の中に映っているのはヒーロー映画なんだろうな。主人公をどうやって格好よく見せようかということを考える。そしてだんだん映像では表現しづらい、小説でしか書けない微妙な格好よさにシフトしていく。
井上:  僕は西部劇でも「真昼の決闘」みたいに、現実の時間と映画の中の時間が一緒に進行するようにつくったとか、そっちのほうに興味がいくんですよ。ヒッチコックの「ロープ」という作品は、全部ワンカットで撮っている。そういうのを聞くと、すごく興奮してくる。
大沢:  夢さんは仕掛けフェチだね。
井上:  そうなんです。おもしろい仕掛けを見ると、自分も何か書いてやろうかなと思うんですね。二人で書いていたときも、相棒がボクシングをやっていたから、世界夕イトルマッチにあわせて15ラウンドで終わる小説を書こうかとか。相棒のほうは、僕がそういう話をしてもピンとこないみたいだったけど。
大沢:  僕は映画を見て、キャラクターがすごくいいなと思うと、「こういうやつが書いてみてえな」と思うわけです。明らかに影響のされ方が異なりますよね。映画といえば、今回の短編集の中に「私は死なない」という作品があるでしょう。あれを読んで、昔、家族と夢さんの家に遊びに行ったとき「フラットライナーズ」のビデオを見たことを鮮明に思い出したんですよ。両方、死について実験する話だから、もしかして「フラットライナーズ」を見たころに書いたのかなと。
井上:  いや、あれは「フラットライナーズ」とはつながってないな。何かの雑誌で死体の絵を見て、それがすごくきれいでおもしろいなと思って書いた気がする。あれも書き始めるまですごく時間がかかった。僕はいつもギリギリまで書けないから……。
大沢:  夢さんは全く仕事をしない時期がありましたよね。
井上:  いまだにそうだよね。
大沢:  開き直ってどうする(笑)。大体何年ぶりの新刊なんですか。去年は出てないでしょう?
井上:  この前に出したのが集英社の『the TEAM』という連作短編集ですね。2006年の1月だから、3年近く経ってるか。
大沢:  長編になると何年書いてない?
井上:  自分でも思い出せないぐらい。やっぱり書けないんじゃないかな、僕は。
大沢:  書けないんじゃないよ。書かないだけだよな。
井上: 「僕の場合は、例えば100枚とか200枚を簡単に消してしまう。それで頭から書き直す」と話したら、大沢君に「それはアマチュアだよ」と言われたことがある。「うーん、そうだな」とその時は反省した。反省した筈(はず)なのに、でも直らないんだよね。しばらく書いて違うなと思いはじめると、いろいろいじくる。いじくればいじくるほど自分でもわからなくなっていくので、「ああ、だめだ」と思って全部消すのね。
大沢:  夢さんはそれだけ真摯(しんし)に小説に向き合っているんだよね。僕はわりに無責任なタイプなんです。連載が終わって読み直すと、当初の予定と全く違うところに物語が着地している。でもこれはこれでおもしろいじゃんと無理やり自分を納得させて本にする。夢さんは多分、そこで自分を許せないんじやないんですか。
井上:  許せないというよりも落ち込む。書きたいものになってくれない、と。
大沢:  ショートケーキつくろうと思っていたら、シフォンケーキになってしまった。でも、シフォンケーキもおいしいからいいじゃんというタイプじゃなくて、もう一回、ショートケーキをつくり直す。
井上:  そういうところがあるかもしれないな。自分ではそんなにこだわっているつもりはないんだけれども。
大沢:  相当こだわっている。頑固だよ。自分に対して寛大になれば、もっと本が出るよね。なぜそれをやらないか。
井上:  そういうところは相棒が機能していたのかもしれない。相棒がいれば、自分の目指す方向とは違う感じになってしまっても、これはやつのアイデアだからと言い訳できちゃうからね。
大沢:  岡嶋二人を解消してからの作品数が圧倒的に少ないよね。
井上:  少ない。岡嶋をやめてからのほうが時間的には長いんだけど。
大沢:  井上夢人になって、じき二十年になるわけじゃないですか。そろそろ読者の期待にこたえたらどうですか。
井上:  こたえたいけど、いまだにガキなんだよね。大人になれてない。
大沢:  井上夢人で書くときは岡嶋二人のときのような妥協は絶対にするまいと思っているから、完成した作品が少ないんでしょう。今、「小説現代」に連載中なんだよね。それは滞(とどこお)ってるわけ?
井上:  やっぱり締め切り日に全部消しちゃったりしてる。まともに原稿出すのは僕らしくないじゃん(笑)。
大沢:  いやいや、僕らしいとか、そんなことは全然関係ないから(笑)。
井上:  でも、落としてはないよ。
大沢:  じゃあ本になるよね。夢さんしか書けない世界があるし、おれは待っている人がすごくいっぱいいると思うよ。
井上:  待っててもらえているんだったら、もちろんありがたい話だね。
(構成 石井千湖)