解説

吉野 仁(文芸評論家)

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 まず最初に、質問。
 ビートルズと岡嶋二人の共通点は?
 答え。どちらも解散した。
 なんだ、そんなこと、問われるまでもなく知ってるよ。岡嶋二人の推理小説は大好きだったし、これまで何冊も読んでいる。そういう方ならば、本作『クリスマスの4人』の作者、井上夢人について、いまさら説明するまでもない。かつて徳山諄一と組み、「岡嶋二人」の名で活躍していたことや、コンビ解消後は、主に奇想を活かしたミステリーを書き続けていることなど、言わずもがな、である。
 一方、ビートルズに関する知識については、年齢や音楽の好みなどによって、かなり異なるだろう。解散後、ジョンが暗殺され、ジョージが死亡したことは、ポップスやロックのファンならずとも常識的なニュースだと思うものの、人によってはまったく関心外かもしれない。
 では、第2問。
 本作は、井上夢人名義による、何作目の長編だろうか。
 答え。『ダレカガナカニイル…』(新潮文庫)、『プラスティック』(講談社文庫)、『パワー・オフ』(集英社文庫)、『メドゥサ、鏡をごらん』(講談社文庫)、『オルファクトグラム』(講談社ノベルス)に続く、第六の長編である。いずれも大胆な趣向によるミステリーで、各誌アンケート・年間ミステリーベスト10に選ばれた作品も少なくない。詳しくは、井上夢人自身が運営しているウェブサイト「夢人.com」をごらんあれ。名の知れた検索エンジンに「井上夢人」と入力すれば、たちまちたどりつけるだろう。
 次に、もう1問。
 井上夢人の長編が文庫化され、ミステリー書評家らによって、こうして巻末解説が書かれる際、かならず冒頭付近に「断り書き」が付け加えられる。書き手によって表現は異なるが、おおむね同じ内容だ。それはいったいどんな言葉か?
 答え。もしも本文を読むまえに、この解説から目を通している人がいるならば、いますぐ中止して、小説を先に読んでほしい。
 この『クリスマスの4人』にもまったく同じことがいえる。余計な先入観をもたずに、まずは最後まで物語を愉しんでいただきたい。あらすじや題材について先に知ってしまうと、ネタバレにつながったり、意外性のある展開を先に予想しながら読んだりしてしまうからだ。
 言い換えると、次になにが起こるのか分からないまま、登場人物たちと同じ感覚でぺージをめくっていくことこそ、井上夢人作品を愉しむ秘訣だと思う。読者もまた不可思議な謎に対して思考をめぐらせつつ、現実感たっぷりの悪夢に身をゆだね、終わりの見えない迷宮をさまよい歩く。結末の解答ではなく、解き明かす過程のスリルとサスペンスに面白さがあるのだ。
               * * *
 ビートルズが死んだ。
 この書き出しではじまる本作『クリスマスの4人』は、2001年12月20日付けで刊行された。全体が4つの章で構成され、4人の登場人物がそれぞれの章の語り手となり、10年ごと、クリスマスの再会とともに物語は展開していく。
 もともと、雑誌連載されたものが単行本になった。まず第1章にあたる「1970年」が雑誌「EQ」1997年5月号、「1980年」が同誌1998年5月号、「1990年」が1999年5月号、そして「2000年」が「GIALLO」2001年春号に掲載された。すなわち最初の3つの章が1年ごとに活字になり、さらに最終章だけが2年のインターバルの後に発表され、その年の暮れに単行本になったのである。
 作者の都合や雑誌の休刊などにより連載が中断するのは、けっして珍しいことではない。だが、妙な因縁を感じてしまった。
 ご存じのようにビートルズのジョージ・ハリスンが亡くなったのは、2001年の11月29日(日本時間では30日)のことだった。本作は、その直後の刊行なのだ。〈ビートルズが死んだ。〉という言葉ではじまるだけに、なにか出来すぎた暗合を感じさせるではないか。
 さきに、「ビートルズに関する知識については、年齢や音楽の好みなどによって、かなり異なるだろう」と書いたが、とりわけ全盛期の活動中から聴いていた人たち、いわゆるビートルズ世代にとって、やはり哀しい知らせだったに違いない。ジョージはまだ60歳にもなってなかった。たしかに、解散以来、ほぼ10年ごとに驚くような知らせを耳にしているのだ。唯一、日本のファンが喜んだのは、解散から20年後、1990年にポールが初めてソロで来日しコンサートを開いたことだろうか。だが、なにより衝撃的な「ビートルズの死」は、ジョン・レノン暗殺事件だった。
 作者の井上夢人は、1950年12月9日生まれ。岡嶋二人時代の記録をつづったノンフィクション『おかしな二人』(講談社文庫)のなかで、熱狂的なビートルズ・ファンであることを明かしている。ちょうど乱歩賞の結果を待っていた運命の日に、「僕は、その日の朝から、ずっとビートルズを聴いていた」とある。

 頭の中では、ジョン・レノンの言葉が繰り返し鳴り続けていた。
〈だれだって成功できるんだ。時間さえたっぷりあれば、きみも成功するんだ〉

 しかも井上夢人は、1980年12月8日(日本時間では9日)にレノンがマンハッタンのダコタアパート前の路上で射殺されたニュースを、ちょうど30歳になったとたんに聞かされたのだ。「絶対に、そんなこと、信じない」と、友人たちに言ったそうだ。
『クリスマスの4人』は、10年ごと、ビートルズ解散後の歴史と並行するかのように、4人の登場人物による視点で順番に語られていく。ここで作者は自分の分身として登場人物にビートルズヘの思い入れを語らせるようなことはしていない。あくまで、「10年ごとのクリスマスに起こる悪夢」という小説のアイデアに現実感を与えるための、ひとつの要素である。作者自身の衝撃的な体験をふまえているにせよ、誰でも知っているミュージシャンであり、社会的な出来事だからこそ、ビートルズの名や彼らにまつわる事件が扱われているのだ。この世代を主人公にするならば、話題にしない方がむしろ不自然である。
 すなわち、本作における〈ビートルズの死〉とは、解散やレノンの死のみならず、東西冷戦の終結などを含め、「予測できない未来」の象徴なのかもしれない。もしくは、「変えることのできない過去の悪夢」と言い換えてもいい。
 物語は、昭和45年12月25日にはじまる。久須田潤次は、20歳の誕生日の日、思いもしない事件に遭遇してしまった。塚本譲、橋爪絹枝、番場百合子とともにドライブに出ていた。だが、運転を百合子に代わったとき、何かが車にぶつかった。首にタータンチェックのマフラーを巻き、焦げ茶色のオーバーコートを着た男がとつぜん夜の農道に飛び出してきたのである。4人は、死体を始末することにした……。
 これまで、岡嶋二人や井上夢人の作品を読んできた方ならば、いかにも作者らしい小説だと感じたに違いない。たとえば、不可思議な出来事に対して、男女4人が推理を働かせたり議論したりする場面を読むと、岡嶋二人の名作『そして扉が閉ざされた』を否応なしに思い出してしまう。冒頭に出てくる異様な死体ということであれば、井上夢人『メドゥサ、鏡をごらん』がいまだ印象に残っている。
 もちろん、はじめて井上作品に触れる読者もまた、奇妙な出来事が連続する展開を面白く感じることだろう。登場人物たちの「なぜ、こんなことが起こるんだ」という会話に、より興味が刺激されるはずだ。
 さらに、後半になるにしたがって真相が明らかにされだし、すべての謎の辻褄が見えてくると、すべての決着のつけ方が気になってくる。そのあたり、ある設定におけるルールの問題はあえて無視したのだろう。同じ時空に共存することが可能なのだ。その点、本作の意外なラストは、なにか狐につままれたみたいでもあり、結末の時点からまた新たな物語がはじまっていくようでもある。
 そういえば、かつて井上氏にインタビューをしたとき、『メドゥサ、鏡をごらん』について、「ポランスキー監督の『テナント』を見て、こういうのを書きたいと思った」と述べていた。そのモノクロで日本未公開の映画『テナント』(ビデオのみ『テナント/恐怖を借りた男』)は、見ていると座り心地がわるく、後々まで妙な感じが引っかかり、見おわってもなお、何か嫌な感じが残る映画だったという。すなわち、『メドゥサ、鏡をごらん』もまた、そんな作品をめざして書いたというのだ。読み終わったあと、読者が本を壁にたたきつけたくなるような物語。作者はこれを「噴飯物」と名付けていた。
 その意味で、意外な結末が待ち受けてはいたものの、個人的には本作もまた「冒頭の謎、中盤のサスペンス、ラストの宙ぶらりん」な小説に思える。あくまでその受け止め方は、読み手次第なのだが。
 さて、最後の質問。
 岡嶋二人と井上夢人の最大の違いは。
 答え。井上夢人は解散しない。
 読者としては、新作を待ち望むばかりである。ところがなんと、本作以降、単行本は発表されていないのだ(2004年12月現在)。これまで、短編集も含めて、年に1冊以下というきわめて寡作な刊行ぺースである。もっとも、ハイパーテキスト小説『99人の最終電車』が、Web新潮内でいまも連載中であり、「小説すばる」誌で「霊導師あや子」シリーズの短編を第5話まで発表している。
 今後とも奇想にあふれた井上ミステリーの新作に期待したい。