1986年 第39回 日本推理作家協会賞長編部門
授賞作:チョコレートゲーム
受賞者:岡嶋二人(おかじまふたり)

受賞の言葉

 推理小説を書くということを、今、あらためて考えています。どのように捉え、どのように眺め、どのように練り、どのように切り落とすべきか――それを、最初から考えなおしているところです。「チョコレートゲーム」は、そんなことを話し合って書いた最初のものでした。話ばかりしていても埒が開かないから、とにかく実戦で試してみようというのが、直接の動機だったのです。仕上がりに、さほどの自信はありませんでした。やり残したことが、あまりにも多いように思えたからです。でも、その作品に賞をいただきました。もっと、いろいろ試してみなさい――そう言っていただいたのだと、勝手に解釈することにいたしました。
 どうも、ありがとうございました。

【選考経過】
 第三十九回日本推理作家協会賞の選考は、昭和六十年一月一日より十二月三十一日までに刊行された長編、各雑誌の一月号から十二月号までに掲載された短編および連作短編集を対象として、例年通り昨年末から選考に着手した。
 まず協会員をはじめ出版関係者など各方面にアンケートを求め、その回答結果を参考にして、長編二九七編、短編六一八編、連作短編集三〇編、評論その他の部門一六編をそれぞれリスト・アップした。
 これらの諸作品を協会より委嘱した部門別予選委員一四氏が選考に当たり、長編部門は一七編、短編部門は三九編、評論部門は六編を二次に残し、二月十八日と二十日の両日、協会書記局において最終予選委員会を開催した。それによって既報の通り、長編三編、短編三編、評論その他の部門二編の候補作が選出された。
 この候補作を理事会の承認を得て、本選考委員会に回付した。
 本選考委員会は三月三十一日午後五時より、新橋第一ホテル新館・柏の間にて開催。生島治郎、井上ひさし、佐野洋、仁木悦子、山村正夫の五選考委員が出席。理事長中島河太郎が立会い理事として司会し、各部門ごとに活発な意見が述べられ、慎重な審議が行なわれた。
 その結果、短編および連作短編集部門は該当作品なしになったが、長編部門と評論その他の部門では、別項の通り授賞作が決定した。選考内容については各選考委員の選評を参照していただきたい。

【選評】

生島治郎
 長編部門賞はニ作と決まったが、私は、『チョコレートゲーム』『背いて故郷』ともに満点とは言いがたいという印象を持った。『チョコレートゲーム』は難点の少ない作品だが、岡嶋さんのこれまでの作品に較べて、やや軽めの感じはぬぐいきれない。
岡嶋二人ならではのユニークな世界を描き切ったという作品とは思えないところに、いささか不満が残る。ただし、受賞にふさわしい才能の持主だということに異存はない。今後の活躍を大いに期待したい。
 志水さんも期待の持てる書き手だが、この作品に限っては、ストーリーの展開がややもたつき気味である。外象風景を細かに描写することによって、主人公の内象をイメージさせるテクニックはむずかしいものだが、もう少し簡潔にする必要があるだろう。
 受賞作とはならなかったが、『神話の果て』は、前回候補作の『山猫の夏』より、キャラクターの描き方がずっと巧みになっている。
 船戸さんは骨太という印象が強く、日本にしては珍しいヘヴィ・ウェイト級の書き手という感じもするのだが、フィニッシュ・ブロウが大ぶりなわりには決っていない。
 読者がもっとも意外性を期待する指導者の謎と、武器入手の経路に今ひとつ工夫があればと思う。
 短編三作は、いずれも期待外れであった。うまくまとめてある作品より、今までなかったような凄味のある短編をと期待してしまうのである。
 評論部門では、受賞作にはならなかったが、小鷹さんの作品を、私は楽しんで読むことができた。
 今後も、こういう評論活動はぜひつづけていただきたい。
 松村さんの作品は、ややくり返しが多く、いささか論としては古めかしいが、労作であり貴重な評論であることは間ちがいない。私にとっても、大いに勉強になった一作であった。
 
井上ひさし
 松村喜雄さんの『怪盗対名探偵』には多くを教えられた。とくに『レ・ミゼラブル』、『モンテクリスト伯』、『三銃士』、『鉄仮面』といった、少年時代に熱狂し、いまもなお愛読している作品が新聞の連載ものとして書かれたことを知って大いに励まされもした。わたしの心のどこかに「連載ではいいものは生れにくい。書き下ろしこそ尊いのだ」という考えがこびりついていて、その考えがいつも「おまえも連載もので仕事しているうちはホンモノでいはないぞ」とわたしを脅迫しつづけていたのであるが、松村さんの御作で生れてはじめてそういう教条主義から自由になることができた。このような励ましに恵まれたことを松村さんに感謝したい。ありがとうございました。
 岡嶋二人さんの『チョコレートゲーム』は高校生と公営賭博という組み合せに工夫がある。父と子との愛を二組、重ね合せたところもみごとな手腕だ。それになによりも常に読みやすさを心掛けておいでなのに打たれた。安易に読みやすさを追えば、読者に媚びるという悪い結果を生むかもしれぬが、この作家の場合はそういう質の読みやすさではない。軽く打っているように見えて、あとでじんわりと効いてくるという頼もしさがある。こういう読みやすさがあると教えられて大いに得をしたという気分である。
 志水辰夫さんの『背いて故郷』からは、丁寧に仕事をすることの尊さを教わった。文体もまた丁重で、ときとしてそれは読者にある種のもどかしさを感じさせもするが、結局は丁寧丁重が勝つ。読者がその丁寧丁重を通して作者に信頼を抱くのである。役者がお客を不安がらせたらもうその芝居はおしまいだが、それと同じことが小説でもいえるのではないか。それにしてもこの作品は不運の波に見舞われてずいぶん長い間あちこちをさまよった。だがついにいま、落ち着くべき港に錨を下した。そのことを心からよろこびたい。
 おめでとうございました。
 
佐野洋
 ※ 長編部門
 船戸与一氏『神話の果て』は、相変らずの力作であった。しかし、この主人公のキャラクターが読者の共感を呼べるとは思えず、それが一番の難点になった。冒険小説では、読者が感情移入できる人物を作り出すことが、ストーリーの組立て以上に大事だと思う。
 岡嶋二人氏は、常に減点の少ない作品を発表している。これは共作のいい面だろうが、逆に、悪い面として強力なパンチに欠けるという指摘もされて来た。この『チョコレートゲーム』にもそれが言える。また、この作品が同氏の最上のものでないことも事実だったが、これまでに示された安定した実力は、十分に信頼できるので、受賞を機に、一大発展を遂げることを期待している。
 志水辰夫氏の仕事の丹念さには、いつも敬服している。『背いて故郷』でも、例えば死者の遺留品のリストの詳細なことに、私はうなってしまった。ここまで凝る作家はほかにはいないのではないか。ただ、この特徴と作品の暗さとが、ときには読者を困惑させることもあると思われる。読み終わったとき、疲労感だけが残るのだ。一番心配なのは、氏が受賞に責任を感じ、作品がさらに重苦しくなってしまうことだ。むしろ、もう少し肩の力を抜いて明るい色調のものを望むのは、氏の資質を無視した希望だろうか。
 ※ 短編部門
 人生の一断面を切り取りながら、同時に魅力的な謎を提示するという、短編ミステリーらしい作品が候補に上がっていなかった。もっとも、逢坂剛氏の『逃げる男』をそれに含めることもできなくはないが、この作品の題材はやはり長編向きの気がする。それに、逢坂氏には、長編で受賞してもらいたい。
 ※ 評論その他の部門
 松村喜雄氏の『怪盗対名探偵』には、教えられるところが多かった。そして、実作家の創作意欲を刺激してくれたことにも、感謝し協会賞を贈りたいと思う。ただ推理小説の中心はトリックだという同氏の所説には私は首肯できないが。
 
仁木悦子
 長篇賞部門の「チョコレートゲーム」は、この作者らしいこなれた簡潔な文体と物語を構成してゆくうまさに溢れている。ただし、あまりに読みやすいことがマイナスに作用してか、少し軽い感じがある。この作者にはこれまで、ひねりのきいた力作が幾つもあるので、最高レベルの作品での受賞とは言い難い点、作者にも心残りがあるかと思ったが、今後とも危なげなく書いてゆける人だという他の方々の意見には同感で、受賞に賛成した。「背いて故郷」は、「チョコレートゲーム」とは全く違った傾向の作品だが、この作者のものとして最高傑作といえるか、という疑問の点で共通している。しかし、場面場面の雰囲気の盛上げ方の巧みさや、全体の沈んだ寒々としたムードは、この作者ならではのものがあり、受賞に値すると考えた。
 「神話の果て」には、感心できなかった。主人公が、米国の一企業の利益のために多くの人を殺し、最後に自分も死ぬというだけの物語では、読み終ってはぐらかされた気がする。べつに主人公は常に正義の士であれとか、反体制であれとかいうのではないが、読者は、一本筋の通ったところで主人公と共感したいのだ。この作品も部分的には十分おもしろいし、私はこの作者が好きなので、残念だった。
 短篇賞部門は、候補作三篇ともこじんまりとまとまっているが、短篇らしい切れ味のよさ、鮮かな魅力に乏しく受賞に至らなかった。評論その他の部門では、私個人の好みとしては「アメリカ語を愛した男たち」がおもしろかったが、「怪盗対名探偵」は量的にも大きな労作だし、一般的にあまり知られていないフランスミステリの歴史や成立、またそれが英米の――ひいては我が国のミステリに及ぼした影響などについて教えられるところが多く、推理小説の研究に貢献するところが大きいと思い、受賞作に推した。
 
山村正夫
 長編部門三篇の候補作の中で、私は岡嶋二人氏の「チョコレートゲーム」を推した。
 岡嶋氏にはこれまでに、数々の秀作があるので、それらに較べて必ずしも凌駕した作品とは言い難いかもしれない。確かに事件の背後で演じられたゲームの着想の面白さを除くと、探偵役をつとめる父親の心情やアリバイ・トリックなどに新味がなく、小説作りが全体的に軽過ぎるという印象を受けなくはない。だが、三篇の中では一番推理小説らしくまとまっている点と、本格物としてのソツのない構成に好感を抱いた。それに昨今の合作による氏の活躍ぶりは目覚しいものがあり、作家としての安定感に富んでいる。協会賞の性格を考えると、そうした安定感は大きなポイントに算え得るのではないだろうか。
 志水辰夫氏の「背いて故郷」は、岡嶋氏の作品とは対照的な力作である。ただ、作中の主観描写にいささか煩わしさを覚え、ストーリーの展開の方にもっと目を向けてほしいという気がした。とはいえ独特の文体の醸し出す重厚なムードには圧倒された。個性的な作家の乏しくなった最近の推理小説界には貴重な存在で、岡嶋氏との二篇受賞にもとより異論はない。
 船戸与一氏の「神話の果て」は、読みごたえという点では三篇中随一で、導入部の設定にも趣向が凝らされていた。だが、主人公に共感を覚えないという他の選考委員諸氏の見解には私も同感で、傍系人物の方がよく描けていると思う。結末のつけ方にも首をひねらされ、積極的に支持できなかった。
 短篇賞の方は昨年と同様、残念ながら受賞作なしと決まった。新人賞ではないから、これこそ珠玉の一篇と脱帽させられるような作品が協会賞には望ましい。その意味では三篇とも小粒に過ぎ、決定打に欠けたのが惜しまれる。
 評論その他の部門では、松村喜雄氏の「怪盗対名探偵」が労作だった。英米のミステリーについて論じた評論は多いが、フランスのミステリーを歴史的に体系づけたものはなかった。ロマン・フュユトンが日本の探偵小説に及ぼした影響など、教えられたことろが多く、それだけでも十分、受賞に価するといえるだろう。