授賞作:原子炉の蟹
受賞者:長井 彬(ながいあきら)
【選考経過】
本年度乱歩賞は、本年一月末日の締切りまでに一四二篇の応募があり、次の四作が最終候補作に残った。
あした天気にしておくれ 岡嶋二人
原子炉の蟹 長井 彬
未来の詩人たちのメッセージ 高橋孝夫
ショパンの告発 林 芳輝
この四篇を七月一日(水)帝国ホテル「楓の間」において、五木寛之、多岐川恭、都筑道夫、南條範夫、三好徹の五氏(五十音順)の出席のもとに慎重なる審議の結果、長井彬氏の「原子炉の蟹」が第二十七回江戸川乱歩賞受賞作に決定。
【選評】
五木寛之
今回の乱歩賞の選考は、岡嶋二人という共作者の「あした天気にしておくれ」のトリックの類似をめぐって各氏の意見をきくところからはじまった。正直なところ、私はミステリーのトリックに関して、いささか九州人的な大まかなところがあり、むしろこの作者のテンポの早い文体とアイディアの卓抜さに感心していたほうなので、それじゃ別なトリックを考えて書き直したらどうだろうなどと乱暴なことを思っていたのである。しかしミステリーの世界では、トリックというものの比重の大きさが私などの想像を絶するほど大切なものに受け取られていることに気付き、あわててこの作者の次作を期待する側に回ってしまった。まだ若く、卓抜な筆力もあるお二人なので、いずれ頭角を現わしてくるだろうことは間違いない。
林芳輝氏の「ショパンの告発」は、導入部の手ごたえ充分で、これはすごい小説になるのではないかと、期待に胸を躍らせて読んだのだが、後になるにつれて腰くだけとなってしまったのは残念だ。推理にこだわらず、音楽の世界を背景に、普通の小説を書かれたほうが成功しそうな気がするのだが、いかがなものか。
高橋孝夫氏の「未来の詩人たちのメッセージ」には、新しい感覚の芽ばえを感じて興味を抱かされたが、あまりに詩的にすぎる文体と物語りの運びに、いささかついて行けなくなる点が気になった。
受賞作の「原子炉の蟹」は、三好徹さんが<新社会派>という呼び方をされていたが、前作の<M8以前>と合わせて一本、といった気配もある。今後の精進に期待したい。
多岐川恭
「あした天気にしておくれ」が最もまとまっており、筋立ても面白かったが、メイントリックが、ある作家の短篇のものと同一だった。すでに使われたトリックを再び使ってはならないとは思わないが、この場合はやはり不適当だろうし、力量は認められる作者だから、新らしい作品で捲土重来を期してほしい。
「ショパンの告発」はクラシック音楽を中心部にまで取り込んだ意欲作で、好意をもって読んだが、トリックメイキングで首をかしげるような個所が目についたし、全体的にぎこちなかった。文章にもムラがある。
「未来の詩人たちのメッセージ」の文章を私は好きだったが、なんとしても話がわかりにくい。もっと整理して、枝葉を切り落とすべきだったろう。時代背景など、いま少し親切に書込むべきだ。
「原子炉の蟹」の密室トリックには感心した。社会的視野も十分で迫力があり、読みやすい文章だ。ただ替玉のところ、最後の犠牲者が自滅するところなどに、やや無理を感じたが、重大な欠陥というわけではなかった。
私は「あした天気・・・・」かこの作品、というつもりで選考会に出席したので、授賞に異存はなかった。
「ショパン・・・・」「未来・・・・」は惜しかった。十分書ける人たちだと思うので、筆を折らないでいただきたい。
都筑道夫
候補作の四篇、それぞれに趣が変っていて、おもしろかった。けれども、そのおもしろさが、題材によるものであって、小説的技術によるものでないのは、なんとも物足りない。推理小説にするために、ずいぶん無理をしたものもあって、林芳輝氏の「ショパンの告発」なぞ、音楽家の心理をえがいた導入部のするどさが、たちまち謎のあいまいな殺人事件になる。謎だけでなく、捜査の進展もあいまいで、つまりは林氏、音楽を知っているほどには、推理小説を知らないということだろう。
高橋孝夫氏の「未来の詩人たちのメッセージ」は、アメリカが舞台の近未来サスペンス小説で、忍者のような日本の秘密工作員の活動をかげに置き、アメリカ人老刑事を表面に動かしたところがみその、まるで翻訳小説のような作品だ。その点には四篇ちゅう、私はもっとも好意を持ったが、残念なことに、技術がまったくともなっていない。ことに一枚ごとに、文章のつづきぐあいと無関係に一字さげになっているという、おかしな原稿の書きかたが気になって、読みとおすのさえ、ひと苦労だった。
そこへ行くと、岡嶋二人氏の「あした天気にしておくれ」は、実に達者で、読みやすい。じゅうぶん作家になれる人だろうが、トリックに先例があることと、実行不可能な点が問題になった。私としては、翻訳調のぶっきらぼうな会話も気になったが、次作に大いに期待したい。
そんなふうに落して行って、長井彬氏の「原子炉の蟹」の新社会派ふうの狙いのよさに、票があつまったわけだ。昨今は題材第一になることはやむをえないのだろうが、それだけで安心せずに、構成および表現の技術に工夫されることを、次回の応募者のみなさんに、お願いしたい。
南條範夫
原子炉の蟹――実によく調べて書いたものだと感心した。科学の粋を集めた筈の施設の中でこんなにも原始的な清掃作業が行われているとは愕くほかない。単なる推理小説としてのみでなく、別の意味で大きな社会的関心を呼ぶに足るものだと思う。この作者の去年の候補作も地震と云う切実なトピックを採り上げていたようだが、この方面での新しい旗手として待望する。
未来の詩人たちのメッセージ――テンポの早い歯切れのよい文章、広大な舞台、一九七八年の未来社会、いづれも私はすこぶる興味深く読んだ。アメリカ人がよく書けていて、翻訳ものを読んでいるような気がした。他の委員が余り良い評点を与えなかったのを残念に思ったくらいである。
あした天気にしておくれ――文章は平明で構成もよいが、肝心の中心になるトリックが夏樹君のものと同じであるのが致命傷である。むろん偶然の一致だとは思うが、不運とあきらめて貰うほかはない。これだけ書ける筆力があるのだから、捲土重来、来年また挑戦してもらいたい。
ショパンの告発――いかに双生児とは云え、二人の人間がまったく区別できないと云う設定は余りに非現実的である。スパイ事件のからませ方も不自然。この作者は情緒豊かな人らしいから、推理小説以外の分野に向った方がよいのではないかと思う。
三好徹
今回の乱歩賞は、やや低調の感があった。それは応募作品ないしは候補作品の数をいうのではない。質的な意味においてである。五百枚前後の長編推理小説を書くことは、もとより誰にでもできることではない。筆力、構成力が備わっていなければ、この伝統ある登竜門をくぐりぬけることはできない。そうした難しさを承知した上であえていうなら、選者たちがどの作品を採るべきか、いい意味で困惑するほどの作品が揃ってほしいのである。
受賞作「原子炉の蟹」は、今日的な主題の野心作である。密室殺人という本格仕立てであるが、作者がうったえようとするものは、現代社会のいわば見せかけの繁栄の底にある歪みである。一口にいうなら新社会派とでもいうべきか。どうか新風を吹きこんでいただきたい。
「未来の詩人たちのメッセージ」は、なかなかに壮大な狙いをもった作品だが、それが未消化に終ったのは残念である。部分的には作者の資質を感じさせるところがあるのだが、全体としてまとまりに欠けていた。「ショパンの告発」は、冒頭はすぐれているのに腰くだけとなった。また、作者は推理小説に必要な“現実”を無視しているかのようで、そこに問題がある。「あした天気にしておくれ」は、筆力においては四編中でも上位にあるが、肝心のメイントリックが夏樹氏の作品とまったく同一だった。しかし、この作者は書ける人だ、再挑戦を期待したい。